感覚過敏・鈍麻から見る「ズレ」の正体
「集団行動が苦手」「みんなと同じようにできない」
そんな子どもの姿を見て、協調性や性格の問題ではないかと悩む保護者は少なくありません。
しかし実際には、集団が苦手に見える背景に
感覚の感じ方の違い(感覚過敏・感覚鈍麻)が関係している場合があります。
この記事では、発達の視点から「集団の中で起きるズレ」の正体を整理します。

集団が苦手な子どもは珍しくない
文部科学省の令和4年度調査では、通常の学級に在籍する児童生徒のうち、学習面または行動面で著しい困難を示すと判断された児童が一定数存在することが示されています。
また、令和5年度の通級指導実施状況調査では、通級による指導を受ける児童生徒数が増加傾向にあることが報告されています。
集団生活では、
- 周囲の音を聞き取る
- 人の動きを視野に入れる
- 指示を理解し、行動に移す
といった複数の処理を同時に求められます。
これは大人が思っている以上に高度な能力であり、
発達の個人差によって負担の大きさは大きく変わります。
そのため、集団が苦手なこと自体は
特別なことではなく、発達の幅の中にある現象です。
こうした負担は、家庭や一対一の場面では目立ちにくく、集団という環境に置かれたときにはじめて顕在化することも少なくありません
なぜ集団の中で「ズレ」が起きるのか
集団が苦手な子どもに起きているズレは、
「考え方」や「やる気」の問題ではなく、
感覚情報を受け取り、整理し、行動につなげる過程の違いから生じることがあります。
集団生活では、音・視覚・身体感覚など複数の刺激が同時に入ってきますが、
それらをどのように取捨選択し、統合するかには個人差があります。
そのため、同じ教室、同じ時間を過ごしていても、
子どもによって「見えている世界」や「感じている負担」は異なります。
特に、感覚刺激を過剰に感じやすい場合や、反対に気づきにくい場合には、集団環境とのズレがより大きくなりやすいと考えられます。
感覚過敏がある子に起きやすい困りごと
感覚過敏とは、音・光・触覚などの刺激を
過剰に、あるいは持続的に強く感じやすい状態を指します。
例えば、
・教室の話し声がすべて同じ音量で聞こえる
・椅子を引く音や咳払いが過度に気になってしまう
・服の感触が不快で集中できない
といったことが起こります。
このような状態では、子どもは
「話を聞く」「指示を理解する」以前に、
環境刺激に耐えること自体に多くのエネルギーを使っている状況になります。
その結果、
・落ち着きがないように見える
・集団から離れたがる
・指示が入りにくい
といった行動として表れ、周囲から誤解されやすくなります
感覚鈍麻がある子に起きやすい困りごと
一方、感覚鈍麻では、音や視覚刺激、身体感覚などの刺激を
弱く、あるいは遅れて感じやすい傾向があります。
そのため、
・名前を呼ばれても気づきにくい
・周囲の変化への反応が遅れる
・声の大きさや人との距離感の調整が難しい
といった困りごとが生じやすくなります。
本人に悪気はなく、
単に「気づいていない」「分からなかった」だけであっても、
集団の中では
「空気が読めない」「無視している」
と受け取られてしまうことがあります。
感覚過敏が「刺激が多すぎることによる負担」であるのに対し、
感覚鈍麻では「刺激に気づきにくいこと」が集団適応の難しさにつながります。
「価値観の違い」に見えてしまう理由
感覚過敏や感覚鈍麻といった感覚処理の特性がある場合、
刺激への気づき方や反応の速さに個人差が生じやすくなります。
その結果、
・反応のタイミングが周囲と合わない
・行動の意図が文脈からずれて見える
・本人の意図とは異なる意味で受け取られる
といった状況が起こります。
これらは本来、感覚情報の処理や統合の違いによって生じているものですが、
集団場面では
「考え方が違う」「協調性がない」
といった価値観や社会性の問題として解釈されやすくなるのです。
集団生活では、「この場面ではこう反応する」という暗黙の前提が共有されています。
感覚処理の特性によってその前提と反応が一致しない場合、行動の背景が見えにくくなり、内面的な問題(価値観・態度)として評価されやすくなります。
集団が苦手な子への関わりで大切な視点
集団が苦手な子どもへの関わりで重要なのは、
行動を無理に修正することではなく、
その行動が生じている背景を理解し、環境や関わり方を調整する視点です。
具体的には、
・音や視覚刺激を減らすなどの環境調整
・集団活動の前後に、休憩や切り替えの時間を設ける
・活動の見通しや役割を明確に伝える
・少人数の中で、安心して取り組める成功体験を積む
といった工夫が有効とされています。
こうした関わりは、子どもが持っている力を引き出し、
集団の中で安心して行動できる基盤(土台)をつくります。
これは集団に慣れることを諦めるという意味ではなく、安心できる環境の中で段階的に経験を積むことを重視する考え方です。
ズレを「直す」ことよりも、「理解し、支える」視点を持つことが、集団の中での安心と成長につながります。
まとめ|ズレは「直すもの」ではなく「理解するもの」
集団が苦手な子どもに見られるズレは、
性格や努力の問題ではなく、
感覚の感じ方や情報処理の特性の違いから生じている場合があります。
同じ空間にいても、
同じ刺激を、同じ強さで、同じタイミングで受け取っているとは限りません。
その前提に立ち、
行動の背景を理解しようとする姿勢が、
子どもを守り、集団の中での安心と参加を支えることにつながります。
ズレを「直す」対象として見るのではなく、
「理解し、調整できるもの」と捉える視点が、
子どもの可能性を広げていきます。


コメント